海みたいに広くて深いヨガの学び

昨日は久し振りにニケタンの朝ヨガに行ってきた。月1回開催されるニケタンの朝ヨガ、2月3月はアシュタンガヨガの練習でマイソールに行っていたから参加できず、1月以来で本当に久しぶりだった。

日本に帰ってきてから 先週は朝ヨガ以外にも水曜日にもニケタンの研修会があり、その前日には去年シニアヨガのトレーニングを受講した時に魅力的な先生だなぁ、と感じたマリア先生のメンタルヘルスのためのヨガ、という講座も受けにいき、 久し振りにアシュタンガヨガではないヨガの学びをしてきた。

いつも感じることだけど、ヨガの流派、流派によって集まる人々の雰囲気もそれぞれの特徴があって、アシュタンガヨガの練習で出会う人々とはまた違った雰囲気に出会える。

私は普段は毎朝アシュタンガヨガの練習をずっとしているからたまに違う流派の練習をしたり、違う流派の先生の話を聞くこともまた新たな視点がもらえてとても楽しい。

でも一見全然違う流派のようでいて、時々、根底に流れる考え方は流派が違えど共通しているものを感じることも面白い。

といっても昨日はニケタンの朝ヨガは毎回 朝イチは先生のお話を聞いてお題を与えられて1時間、瞑想するのだけれど、先生のお話されたお題自体の日本語を理解できなくて 「もっと分かりやすい日本語で話してよ。。 全く意味わかんない、。。」と思って結局 ぼーっとしたまま1時間が過ぎてしまった。 英語圏で2か月生活していたから日本語の能力が衰えた、というわけではなく、先生の話される日本語自体が とっても深いインド哲学や経典の知識からきてるような気がするので そんな小難しいことは頭に入っていないので理解できない。

ヨーガ療法士の養成コースで勉強していた時はまだもう少しわかりやすいお題での瞑想もできたので、 ああ、こういうテーマの瞑想は有効だな、と思ったこともあったけど、あまりに小難しい話をされると理解自体できないのだから意味ないじゃん、と思ってしまう。

小難しい経典もインド哲学も経験や実践に基づいた理解がないと全く脳みそで考えただけの上滑りだけの小難しい理論になってしまう。

だからまずはアシュタンガヨガの練習で毎日 自分の心と体の状態を感じようとしながら練習を積み重ね、次第に自分の心と体のつながりと感じれるようになり、ふと練習していない時にも自分の心を客観的にとらえることができる瞬間がでてきたり、そんな気づきがどういった方向に行けば健康的な状態なのか、という指針がインド哲学や経典なんだろうな、と思う。

ニケタンでの勉強も療法士のコースが終わったから終了ではなくて、次から次へと色んな学ぶことが必要なんだと思わされる。 本当にヨガの学びは海みたいに広くて深い。 たぶんここまでやったら満足って終着点などないような気がする。

でも学ぶことは楽しい。自分の体を使って練習をして、体や心の状態を自分なりに客観視していく、その気づきを正しい方向に、より幸せになれる方向に導いてくれるのがヨガの色んな学びのような気がする。

なんて感じた今日この頃。 また相も変わらず学び続けます。

 

 

 

 

 

Follow me!

ヨガ教室検索はYOGA ROOM ヨガの情報サイトはヨガジェネレーション/yoga generation ヨガ教室検索はYogaStation

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です