心の整理のために書いています

今日で父が他界してちょうど7日経った。  このブログはクラスのためでも何でもなく、ただただ、自分の心を整理するために書いている。

親がこの世からいなくなる、 というのは本当に寂しいし悲しい。 とりわけ、 母は私が26歳の時に突然あの世に逝ってしまったのでなおさらだ。  アシュタンガヨガの練習を始めた頃にはすでに母はこの世にはいなくて父との関係は母の死を乗り越えるために良好な関係を再構築していたので アシュタンガヨガで出会った人達からは私は めちゃくちゃ父と仲良しでクラスに通わせてもらっている先生からは ファザコンやもんな、 と言われたこともあるくらいだ。

 

自分ではそんな自覚はなかったけれど、 母が死んでからの関係は本当にそうだったんだな、と今は思う。

だけど、母が死ぬ数年前までは父との関係は最悪で父のことが大嫌いだった。 就職活動をしていた頃、就職超氷河期で就職先がなかなか見つからなくて苦労していたけれど、 応援するどころか、「だからお前はダメなんや」と傷ついた自尊心をさらに追い打ちをかけるような言葉を投げかけていたし、 やっと見つけた就職先はブラック企業だったので父の強い反対もあり、すぐに退職することになったのだけれど、 父に私の人生はコントロールされている、とか厳しくて怒ったら家族の誰も反論できない絶対王政な父、なんて悪口を言っていた。 そして父が50代前半の時、 心臓病で一度心臓が止まった時も 家の中で一切親とのコミュニケーションを拒否していた私は父を心配する言葉もでなくて母に泣いて怒られても心は動かなかった。

その時に父の命は長くはない、と母は心労を重ね、 それにもともとの心の不安定さや弱さもあって、 その数年後にはうつ病になり命を絶った。

 

幼い頃から母に甘えさせてもらった記憶もあまりなく、 成長してからも一緒に出掛けるなんてこともなく、母娘のコミュニケーションもあまり取れないまま、 勝手にこの世を去った母に当時の私は強烈な怒りと悲しみしかなくて遺体に暴言を吐いていた。 それから約10年、母の写真を見れなかった。 それくらい母のことを心の中から消し去りたいと思っていた。 だけど、母の遺骨を拾う時、 趣味のマラソンやダンス、スキューバダイビングとアクティブに趣味を楽しんでいた母は体は健康だったけれど心が弱くて不安定だったから早く死んでしまった、 という思いがあって、 のちにアシュタンガヨガの練習を始めよう、という動機になったのだ。

 

母を失ってから父は変わった。 それまではそんなに家でお喋りするタイプではなかったのにめちゃくちゃ喋るようになった。 結論だけ言って私達を叱っていたのがちゃんとコミュニケーションをとってくれるようになった。

父が現役時代の時はそうでもなかったけれど、母を失い4年後定年退職してからはフレンチブルドッグのワンコを迎え、父と私、ワンコの3人で一緒にランチに行ったり、ドングランに行ったりする生活となった。 父が退職のタイミングで私は一人でちゃんと自立しなさい、と実家を出されたのだけれど、結局ワンコ会いたさに毎週末 実家に帰り泊まって日曜日の夜に自分の家に戻る、それも父が車で送ってくれる、なんて生活をしていた。   あんなに言葉を交わすことも嫌なくらい大嫌いだったのに、 父とワンコとの生活は子供の頃から あまり母や父と関係を築けなかった心の穴を埋めるように 一緒の時間を過ごし、話し、お出かけをして母の死を二人で消化していった。。

 

母が死んでいなかったら恐らく私はアシュタンガヨガをしていない。 心を鍛えたい、心を安定させたい、ヨガの智慧で少しでも人生を生きやすくしたい、 そんな思いがあったから今まで続けてきたと思ってきた。 父と沢山の話をする中でヨガで学んだこと、感じたことを話しながら 一緒に少しづつ心を整理していったのだと思う。

今思えば、 26歳、、っていい歳だったのに、 私の心にずっとあった親に甘えたい、頼りたい、って欠乏感を埋めてくれていたのだなあ、 子育てをもう一度やり直して育ててくれたんだなあ、と思う。 母が死んで22年、 父との2コイチ生活になって17年、  十分すぎるくらいの時間を私にくれていた。

恐らく 母の死がなかったら こんな親子関係になっていなかったんだろうな、と思う。「心臓が一度止まった時、 60歳まで生きたら奇跡や、 ておとん、昔、医者に言われてたのに、それを言った医者が先に死んでおとん、まだ生きてるわ」と笑い話でよく話していた。

だからもう十分すぎるくらい生きた、と本人は思っていたのだろうな。

まさかインドに行っている間に入院してしまったのが もう生きて出てこれなくなるなんて 本当に思ってもみなかった。 何回の死の淵に立っても生還してきたから 心のどこかで 今回も絶対生きて退院してくる、 と思ってた。

2月の始め、 「もう家族に面会できたら そのまますっとあの世に逝く人多いねん」なんて話していた時も 何をおとん冗談言ってるんやろ、 くらいにしか思っていなかった。

 

だけど もう1月末くらいからは本人は死を悟っていたのだろうな。。    死ぬ3日前に面会できて「ありがとう」と言えたし、病室を出る時、父も私に向かって「ありがとう」と言って別れた。 それが生きた父に会えた最後だった。

死ぬ2日前にも数分電話で話せて電話を切る時も父は「ありがとうな」と電話を切った。

毎回実家に帰る度に、 別れ際、父は必ず「ありがとう」と言っていた。

 

私のほうこそ、 ありがとう、の言葉が足りないくらい、沢山の愛情をもらってきたのに、、  11月からインドに行く時、もう2年近くの介護生活、 ちょっと疲れたからインドで充電して 帰国してからまた頑張る、 と思っていたのに。。

 

もう帰国したら父のために介護することはさせてもらえなかった。 まだまだ色んな思いがあふれ出て まだまだ整理がつかない。

アシュタンガヨガの練習をしては今日は心がこんな感じ、 今日は心がこれくらい重い、 とか日々、 練習で自分の心の状態を観ている。  アシュタンガヨガの練習はスピリチュアルプラクティス、というのは本当だな、 と今改めて思っている。

 

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