今年、2022年6月で神戸てアシュタンガヨガのマイソールクラスを開催するようになってちょうど5年になります。
毎朝、自分の練習をしてシャラを開けて生徒さん達が練習にお越しになるのを待ち、サポートするようになって5年、アシュタンガヨガの練習を2008年に始めて14年近くが経ちます。 2011年からインド、マイソールのシャラート先生のもとへ練習に通い、この前、シャラのマイソールパスのカードが出てきて全部で8枚ありました。(マイソールパス:練習生が通っていることを示す生徒カードのようなもの) 7枚はシャラート先生のマイソールパス、1枚はサラスワティ先生のマイソールパス。 合計8回、8シーズン、マイソールに行き、練習に通い、アシュタンガヨガの練習が大好きで練習もクラスも続けてきました。
でも、2011年にマイソールに通い始めた当初はまさか自分がマイソールクラスを主宰することをするなんて、恐れ多くて夢にも思っていませんでした。 私はもともと、子供の頃からとても体が硬く、どんくさくて自分に劣等感をいだいていたから人に対してクラスをする、アシュタンガヨガの練習をシェアするなんて、考えられませんでした。 でも2011年、2012年、2013年と毎年マイソールに通ううちにアシュタンガヨガの練習の楽しさや自分が練習で得た恩恵をまわりの人にもシェアする日がいつか来たらいいな、と思っていたけれど、どうしていいのか分からず、数年が経過していました。
2016年の夏、その年にボランティアスタッフをして参加していた神戸ヨガフェスタの打ち上げで知り合った人に「アシュタンガヨガを是非教えて欲しい」と頼まれたことがきっかけで兵庫駅近くの古民家カフェで初心者向けのアシュタンガヨガクラスを始めることになりました。 こんなにどんくさい私がクラスを教えるなんてできるのかな、ととても不安だったのを今でも覚えています。 でも人に大好きなアシュタンガヨガをシェアすることがとても楽しかったです。
でも、伝統的な練習方法はマイソールクラスという自主練習の方法だということを強く思っていて、クラスに集まってくださる生徒さんのヨガの練習に対するイメージと自分が歩いてきたアシュタンガヨガの練習の在り方のギャップを感じていました。
私が練習を始めた2008年当時はまだ神戸にはアシュタンガヨガを練習できる場所がなくて大阪や京都まで通っていたのですが、2013年頃くらいからなのか、オープン当時は通っていないので年数は定かではないのですが、その頃から新開地にマイソールクラスができたよ、と当時の練習仲間から聞いていて、時々練習にお邪魔させていただいていた新開地、楽の森というシャラでマイソールクラスをされていた先生がマイソールクラスを閉じる、と聞かされたのが2017年でした。
神戸の土地でアシュタンガヨガのマイソールクラスを練習できる場所が一つなくなってしまう、、 楽の森のあの場所でマイソールクラスがなくなってしまう、、
なんだか、そのことがとても嫌で後先考えず、 マイソールクラスを始めることにしていました。
今でも思えば無謀な取り組みだったと思います。 あの時はただ、 楽の森のシャラがなくなるのが嫌、 という想いだけで始めたので3か月、生徒さんが誰も来なかったらクラスを閉じよう、と決めていました。 そしてクラスを始めたのが2017年の6月でした。
最初の1か月は誰も来ないだろう、と思っていたけれど、パラパラと生徒さんが少数ですが来てくださり、細々ながらもクラスを続けてこれました。
でもインド、マイソールに通うことが自分の中の大事なイベントだったのでマイソールクラスを主宰していましたがインドに行っている時はクラスを完全休業にしてインドに練習に行っていました。
練習に来てくださっている生徒さん達に待ってもらいクラスを閉めてインドに行く、ということをそこまで深く考えていなかったのです。 そんなに多くの生徒さんが通って下さっているわけじゃないし、、
と思って2017年2か月、クラスを閉めてインドに行き、翌年2018年も2か月クラスを閉めてインドに行っていました。
あまり深く考えず、ただ練習したい、の想いだけで。
2018年の2か月の休業期間中にクラスに通って下さっていたほとんどの生徒さん達は私のクラスを離れ、別のシャラに移っていました。 今思えばそりゃそうだ、と思います。 別に私の元に通うのはその時 都合が良かったからだけで ずっと同じ生徒さんが同じように通ってくれること自体が凄いことなんだから、と。
会社員時代は無理だった2か月という長期間練習に通いたい、の想いのほうがクラスを安定運営する、という想いより強かったので当然の結果だと思いますが インドから帰ってきたらほとんど生徒さんがいない状態でむちゃくちゃ落ち込みました。 もう心はどん底の状態でした。
インドで練習している時もそんなに体が動く私ではないので腰の痛みに悩まされたり、 すごく頑張って練習していてもなかなか体が思うように動かないことに歯がゆさを感じていたりして自分にOKが出せていなかったところに帰国したら生徒さんは多い時は10人以上いた状態から2人になっていました。
心もズタボロの状態でなんでクラスをやろうと思ったんやったっけ? 私。 こんな私がクラスをやろうと思うなんてそもそもおこがましいわ。 とか自分で自分を卑下して落ち込んで。。。
なんて最悪のメンタル状態でした。
そこで当時京都まで習いに行っていた先生に
「ウジウジ落ち込んで泣いてないで 自分でやると決めたらきっちりやらんかい! 泣いてる場合じゃないやろ、 目の前の一人の生徒さんを大事にしなさい!」
ときつい言葉で諭されて 心をどつかれた気分になりました。 背中がドン!とどつかれたようにハッとして
ああ、ほんまや、 自分でこの結果を招いたんだ。 たとえ一人でもクラスに通ってくださっている生徒さんを大事にしよう。
今私ができること精一杯のことをお伝えしよう
と考えが変わりました。 そして少しづつですが再びクラスに参加してくださる方が現れて、また少しづつですが なんとかクラスを運営できるようになりました。
インドに行っている間代行できますよ、と声をかけてくれたシェリー先生もクラスを時々手伝ってくれるようになり、 翌年からのインドでは彼女に代行クラスをお願いできるようになりました。 独りで必死に頑張っていたところにとてもとてもありがたくて、今も先日の父のコロナ感染など大変な時に助けてもらってクラスを運営できました。
クラスもなんとか家賃を払えて運営できるところまで回復して日々の練習とクラス指導で日々を過ごしていました。
しかし、2020年年明けからのコロナ禍により様々な環境が大きく変化していきました。 コロナ禍で新規に練習を始める、という生徒さんはほぼゼロになりました。 インド、マイソールに練習に通う、ということも難しくなりました。
楽の森のシャラでずっとクラスを運営できると信じていましたが 2020年の秋、 スタジオのオーナーからスタジオをクローズすることを知らされました。
目の前が真っ暗になりました。
あの場所が好きだからクラスを始めたのに。 あの場所だからクラスをやってこれたのに。
これからどうしていこう。 しばらく思考停止になりました。
その知らせを聞いてレンタルスタジオを探そうかな、どうしようかな、 と思っていたところに 今度は夫から
「実はアメリカ転勤の打診を上司からされたんだけど、どうしようか」
とアメリカ行きの話も楽の森の閉店のお知らせを聞いてからしばらくして聞かされたのです。
クラスを閉じるか、他の場所を探すか
クラスを閉じる、 という選択肢は私の頭の中には浮かびませんでした。
「たとえたった一人でも、目の前の通ってくれている生徒さんを大事にしなさい」
先生の言葉が再び頭の中に浮かび、 レンタルスタジオ探しに奔走しました。
夫の海外転勤、 彼の昇進の機会を奪ってしまうかもしれない、 と思いましたが 、 心の底からどうしても海外転勤を受け入れられず、断ってもらいました。 今思えば私のクラスを続けていきたい、の想いが強すぎたな、と思います。
色んな神戸のレンタルスタジオを見に行って、交渉して 通ってくださる生徒さん達が通いやすい場所で、 練習しやすい環境を必死で探しました。 そこでやっと今お借りしているKOBE RENTO SPACEさんのスタジオを借りすることができ、クラスを継続することができるようになりました。
楽の森の閉店 夫の海外転勤の話、と今 思えば 「絶対クラスを続ける」 という想いがなければサヴィトリのクラスは継続できていなかっただろうと思います。
今も正直なところ、 以前の楽の森の頃よりも家賃も上がり、 コロナ禍のまだまだ真っ中で移転先の神戸元町は駅近のとても便利な場所とはいえ、 至近距離に2つのマイソールクラスのシャラもあって 運営していくのは厳しいです。
だけど、 体が硬い人も初心者の人もマイペースに練習に集中できる場所を作りたい。 ヨガインストラクターがアーサナレースのように練習の進み具合を競争するのではなくて、 家庭生活、家庭や仕事とのバランスを取りながら静かに練習できる場所を作りたい。
人生を通して自分の体や心の健康維持向上をサポートするアシュタンガヨガの練習ができる場所、 初心者や体の堅い人が劣等感を抱かずに練習に通える場所でありたい
と思ってクラスを運営しています。 クラス運営を続けていられるのも通ってくださっている生徒さん達がいてくださるおかげです。 ヨガインストラクター、ヨガの先生という仕事は習いたい、という人がいてくれて始めて成り立つ仕事です。
こんな想いを持ってクラスをしている私です。 アシュタンガヨガの練習の恩恵を共にシェアする練習仲間が一人でも二人でもいてくれたら また目の前の生徒さんに対して全力で今まで学んできた経験をシェアしたいと思っています。