長い年月をかけてアシュタンガヨガへの想いの変化が出てきました

とってもとっても久ぶりに自分の練習についてのブログを書きます。

7月1日からSYCシャラでのクラスが始まっていて、 インスタなどで見かける投稿を見ては「ああ、 マイソール行きたかったな」という想いにやはりなってしまいます。

 

8月、9月に行くつもりだったマイソール、 今回渡航をキャンセルしてみて思ったのは やはり私はマイソールで練習することが好きだし、インドに行くことは私にとってはとても特別なものだった、ということ。

でも コロナ禍になり、 家族としてワンコが仲間入りし、 父の健康状態も悪くなり、  以前のように思い立ったらすぐに行動に起こすことが とても難しくなりました。

 

行きたいという想いはとても強いのに、 いざ行動に移してみて、 航空券まで抑えて全ての手配をしても 心のどこかでひっかかる、 何故だか、行きたいのに何かの見えない力に引き留められているような気がしてなりませんでした。

前シーズンはその感覚がすごく強くて 実際にレジスト自体もしなかったのだけれど、 その時は行く予定だった時に父がコロナに感染し、 弟夫婦も感染して 父を病院に連れて行ける人は私だけしかいなくて、 たまたまムーンデイの日に受診予約していた病院に朝から連れて行っていたから そのまま入院治療となり、 父は無事回復して退院したのでした。あの時レジストして行っていたら父はこの世にいなかったかもな、と今も思います。

そんな経緯があるから 余計、 なんだか 夏のインド行きこそ 本当に行きたかったのだけれど 断念したんです。

 

そして 今回の未練が晴らせたらいいな、 と次の冬のシーズン、 未だ、いつオープンになるかも発表になっていないけれど 次に向けて体の調整や仕事の調整をしておこう、 という気持ちになっています。

体は2019年頃の前回のインドから感じていた肩の痛みがずっとあって それは10年近くのカポタの練習での腕の使い方のまずさから来ているものだと理解はしているものの、 なかなか痛みが取れずにいます。

 

練習歴が長くなっても 体の構造的に苦手なものは苦手で腰の調子が悪くなったり、肩の調子が悪くなったり、 使い方を理屈では分かっていても実際に体をそのように使うことはまた別問題で それがまた難しいなあ、と感じています。

昨年から体のことを詳しく勉強して人の体を触る機会も増えたので 以前よりも自分の練習への気づきも今までとは感じが変わってきていますが これがなかなか 思うように体が動かないのが何とももどかしい、 という練習が続いています。

 

練習を始めてからの数年は練習を積み重ねていけばいくほど、ポーズが進んでいき、 それはずっと進み続けていくものだと信じて疑わずに来ました。 でも練習を始めてから14年近くも経つと ずっと進み続ける、 て感じでもないのかもしれない、 と思うようになり、 沢山ポーズをしなくても 限られたポーズの中で練習を深めていくことがかえって 体の痛みや怪我に繋がらないなあ、ということも思うようになってきました。

 

アシュタンガヨガは一生続くヨガの道だよ

てなことを 昔教わったことがあるのですが、 年をとっていくと 身体的に難しいことも沢山でてきます。  でも限られたポーズを淡々と練習すること自体は とても恩恵があることだと感じています。

私自身、 アシュタンガヨガのクラスをするようになって6年、朝のマイソールクラスを主宰するようになって5年、 突然体を壊してクラスを休講にしたり代行をお願いすることが本当にただの一度もなくて 我ながら練習のおかげで とても丈夫になったと思います。

コロナは感染症だからいつか感染するのかもしれないですが、 コロナ禍になって3年近く、 こんなに人に対面する仕事なのに何故だか今まで無事だし、 高熱をだして休む、 とかは思い返せば インド滞在中ぐらいでした。

 

肩の痛みや腰の痛みなどの体の部位の痛みは沢山あるけれど 病気で寝込む、 ということが本当になくて やはりアシュタンガヨガの練習は体力をつけるし、免疫力も上げてくれるなあ、と思います。

そして何よりも 朝の練習の時間、自分自身に向き合うことは 長年の練習の中で人生のステージが変化していっても 自分を助けてくれるツールだな、 と思っています。

最近はスマホを見る時間も長くなって ついつい頭の中が忙しくなりがちなんですが それでも朝の練習の時間だけは静かに自分に向き合えている時間だけは 私にとって忙しい頭の中を鎮めてくれて心を落ち着かせてくれます。

 

こんなことを書きながら思ったのは 以前はポーズをいかに進めるか、 上達するか、 がメインの目標で練習していましたが 今は朝の一人の練習時間、 心を落ち着かせて自分に向き合うことがメインになっているな、と気づきました。

 

何のために練習するかも 練習生活の年数によって変化していくように思います。 始めた当初はアシュタンガヨガに恋していたくらい熱中していた練習でした。 例えていうなら 付き合いたての恋人に恋していた初心者の頃、 それから結婚して夫婦になって愛だと思っていて 愛も熟成して空気みたいに そこにあるのが当たり前になるくらいの存在で その存在も時間をかけて よりかけがえのないものになっていく、 みたいな感じでしょうか。

 

練習日記を書こうと思ってポーズのことも考えてみたけれど そもそもの練習への意識がこの数年で変化してきたので書く言葉も変わってきたように思います。 インドにいる時は練習後のたっぷりある時間をつかって 練習日記を書いていましたが 次のインドはもしかしたら 以前のような練習日記にはならないかもな と思ったりします。

 

 

 

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