やっぱりプライマリーは面白い

最近またプライマリーの練習を自分なりに見直している。 先生からできないアーサナのことだけ考えるんじゃなくて、全部繋がっているんだからできないアーサナのことだけじゃなく、ちゃんとその前のアーサナからしっかり練習しなさい、と言われたことがあり、この前のマットとの練習の時にも言われていたのに、カポタにつながるセカンドの後屈シリーズのことだけに意識がいっていて、プライマリーへの意識がおなざりになっていたのに気づいたのだ。

いつもいつも先生から言われている言葉を耳で聞いて、分かったような気でいたけど、ちゃんと心から理解していないことを痛感した。
いつも先生から言葉を貰う時は 「そうだよね。そうなんだよね。分かっているつもりなんだけどなぁ。」とか思うんだけど、やっぱりちゃんと心が受け入れていないのだ。

言われてすぐは覚えていて実践しようとするんだけど、毎朝の練習でいつの間にか忘れてしまう。 そしてまた身体に痛みが出たり、いつまでも苦手なアーサナは苦手なままだったり。
悪い練習のパターンの修正がなかなかできない。

先週練習に行っていて、ポンと、言われた言葉が心にささり、あ、私確かに全然ちゃんとできていないや。と思ってスリアナマスカラから全ての練習を見直すことにした。
ちゃんと呼吸ができてるか、ちゃんと足が使えているか、昔、足が使えていない、と言われて足にしっかり意識してスタンディングポーズを見直すと見直したとたんにバンダってこういうことか、とやっと実感できたことがあったけど、また何年もしたら忘れてしまっていた。

シッティングアーサナでも足が全然使えていない、と先週言われて、足使うってどんな感じなんやろ、と見直したら確かに全然使えていなかったことに気づいた。それに気づくとつい集中力が途切れてしまうことも少なくなり、足が使えると背骨が伸びていく感覚が生まれ、腰もとても楽になった。 そのままセカンドでも足がちゃんと意識できるようになり、そうするといつも苦行だったカポタで背骨が伸びて腰が今までよりも楽に使えるような感覚が出てきた。

あぁ、面白い。 なんやろ、この感覚、今までの感じと違う。
先生に言われた言葉を私はちゃんと理解できていなかったんだ。 耳に入ってもそのまま右から左に出ていってたんだ。 ずーっと長年習いに行っているつもりだったけど、本当に「つもり」であって心が教えを受ける準備ができていなかったんだ、って思った。

そんなこと思いながらもまた少ししたらすぐにいつもの悪い癖が出てきてしまうのかもしれないけれど、少しでも今の気持ちを忘れない為に書き留めておこう。

やっぱりできているつもりのアーサナは本当にちゃんとできているのか、常に見直す、模索するように練習していくとまだまだ全然ちゃんとできていない自分に気づく。 プライマリーはどんだけやってもとても奥行きがあるからいくらでも深めていける。

最近、先生に言われる言葉が以前よりざくっとそのまま心に刺さる度合が深くなってきた感じがして、 刺さる、というか、たぶん、以前の私はちゃんと聞けていなかったんだろうな、と思う。
聴いているようで聞いていない、状態、とっても自分の思い込みが頑固な状態だったんだなぁ、と思う。  マットが今年のカンファレンスで言っていたけど、ヨガの練習で一枚一枚、いくつにも重なっている皮をめくってはがしていく感じ、てな言葉を使っていたけど、まさしく、自分の思い込み、エゴ、執着が強い状態を練習で一つ一つ手放して、 ちょっとは人の話をちゃんと受け止めるようになってきたのだろうか、 なんて思う。

もちろん、何でも間でも右から左に話を聞き流す人ではなかったけど、自分の執着、思い込みの強い部分に関して、それを手放していく作業はとてもとても時間がかかるものなんだなぁ、と実感している。 たぶん生きてきた年数が長くなるにつれて、その思い込みは強くなるから手放していくのに何年もの練習が必要なんだな、と思う。

10年近くアシュタンガ・ヨーガの練習をしてきて、分かったような気がしていたけど、全然そうではなかった。 その年月をかけて自分の強い執着や思い込みに気づき、手放していく準備をしないといけないな、と思う今日この頃。

練習を通して、色々なことを気づかされるなぁ。やっぱりアシュタンガ・ヨーガって面白い。

まるで玉ねぎを皮から一枚一枚めくっていくみたいな感じが練習の過程なのかもしれない

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