ニケタンで久しぶりのお勉強

昨日はとっても久しぶりにヨーガ療法のお勉強に行ってきた。先月までインド、マイソールにいてシャラート先生の下で練習に励み、どっぷりアシュタンガの世界にいた時は、段々とヨーガ療法を学ぶ意欲も低下してきていて、毎日アシュタンガを練習していて、アシュタンガ・ヨーガをクラスとして伝えるのはそのまま嘘偽りがなくて自分の心に正直でいられる気がしていて、そんなにどっぷりハマっていないヨーガ療法をクラスとして提供するのは自分の中でちょっと矛盾というか、なんかどう表現したらよいのか分からないけれど、3年もかけて講義を受け続け、卒業してからも定期的に勉強していても心の底からこのヨーガ療法だけのクラスをしていきたい、という気持ちがどんどん薄れていっていた。

でもヨーガ療法ベースのクラスを日常的にやることがなくなり、実家の父とマンツーマンで練習だけになってみて、あぁ、この練習も定期的にすることは日頃のアシュタンガ・ヨーガの練習を深める上でも有効な気がする、というかとても心が落ち着くことに気がついた。高齢でとっても体がカチカチの父との練習なので、そんなにハードな動きではなくても深くゆっくり呼吸する意識や身体の感覚に意識を向けていく練習は普段の練習にとっても役立つ。

昨日はアーサナのお勉強ではなくて、個別の生徒さんへの対話力、というかカウンセリング力を養う、心理学的な側面から生徒さんの心の傾向やこだわりなどを観ていく訓練の一つのお勉強というか、なんとも上手く説明できないけれど、ただの体操ではないヨガの部分の学びだった。

お勉強の内容はさておき、ニケタンの講座に集まる人々はアシュタンガ・ヨーガの練習で出会う人々と全然雰囲気が違うのも毎回面白いなぁ、と思って観ている。ヨガの流派が違うと、こんなに集まる人の種類も異なるのか、というのは昔講座の受講をスタートさせた時にも思ったけれど、卒業してからも勉強を続けている人達、というのもある程度決まった顔ぶれの人々になってくる。 アシュタンガ・ヨーガではなかなか出会わないけれど、それこそ父と同世代の人達など全然世代の違う人達などと一緒にお勉強している。同世代の若い人ももちろん参加されているけれど、練習しているヨガの流派って結構その人の雰囲気を形成するものなのかな、と感じる。

良いとか悪いとかいう意味ではなくて、とても面白いと思う。 どっぷりアシュタンガ・ヨーガの練習生や先生、といった人達に囲まれているより時々違う流派の違う雰囲気の人達と一緒に学びを深めていろんな価値観や人生観を知るのはとても興味深い。

でもかといって心から私がニケタンにはまる、ってことは今のところ全然ないなぁ。と感じている。 ニケタンではヨーガの昔からの哲学的教えや経典を体系立てて学ぶのはとても学びやすいし、最近の講義は結構心理学にフォーカスしたような講義が多いので、とても参考になる。 でも心の中でいつもアシュタンガ・ヨーガの練習生としてのフィルターをかけて観ている。 心の底から先生として信頼しているのはシャラート先生はじめ、アシュタンガ・ヨーガの先生達だし、毎日練習しているのはアシュタンガ・ヨーガの練習だし。 ただ自分の引き出しを増やす意味での学びとしてはアリだなぁ、ということで今のところ学び続けている。

日頃のクラスはアシュタンガ・ヨーガだけど、いつかそんな学びも役立つ日が来たらいいな。 あ、実家では役立てているか。。

ニケタンのお師匠さんはいつもクラスで「ヒマラヤの行者は・・」って話をされるけど、内心 私達は俗世に生きているしヒマラヤとか行かないし。。とか思ってる。 とっても斜に構えている生徒な私。。

 

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